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キリンソウ

鬱病と共に生きつつ寛解を目指す。ガジェットとアナログの両方で生活を良くしたい。

私とおじさんの話 私が峯廣ハルになった理由

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私事ですが、本日誕生日を迎えました。永遠の7歳です。
なので、キリがいいのでというか、踏ん切りがついたのでというか、私の名前について書きたいと思います。 お読みいただく皆様には何の利益もない記事ですが、今日くらいは許してください……。

「おじさん」との出会い

「おじさん」に出会ったのは、4、5年程前だったでしょうか。もう少しおぼろげです。

私は当時付き合っていた彼氏とともに、病院へおじさんのお見舞いに行きました。
彼氏だけが病室へ行き、私は喫茶コーナーで待っていたのですが、向かいの席にいきなり知らないおじさんがドカリと腰を下ろしたのです。

急な出来事に面食らっていると、そこへ彼氏が走ってきて「親父、ここまで来てたのか」と少々呆れ気味に声を掛けました。
「いや、ほら。お前が彼女と一緒だって言うから」と、おじさんは少しうれしそうに言いました。
ガッチガチに緊張した私を見て、おじさんは吹き出して「そう怖がらなくてもいい、顔は怖いけどな」と笑っていました。

こうして、おじさんと彼氏と私でいきなり顔合わせをすることになったのです。
緊張しましたが、充実した時間でした。

いい時間だったので、そろそろ病院を出ようかという話に。
その時、おじさんは私に「(彼氏)をよろしく頼む」と言いました。
おじさんの言葉に「はい」と答えて、三人で喫茶コーナーを出ました。

おじさんは病室へ、私たちは車へ。
車を発進させたころ、病院の廊下の窓からおじさんが手を振っているのが見えました。
私は、おじさんが見えなくなるまでお辞儀をし、その日の面会は終了しました。

お見舞いと一時帰宅と

何度かおじさんのお見舞いに行ったり、一時帰宅の時に会わせていただいたり、おじさんと話す機会が少しですがありました。
おじさんの話はいつも面白くて、不思議で、とても引き込まれたのを覚えています。
どの話が一番面白かったかな、と考えてみましたが、全部が大事なお話だったなと、今ふと感じました。

しかし、あるときを境に、お見舞いの回数が増えるようになりました。
おじさんとお話をする機会は、なくなりました。
私はおじさんに、会うたびに挨拶をしました。
おじさんは何も言いませんでした。

お別れ

忘れもしないあの日。仕事から帰ってきて、部屋でひとり携帯をいじってぼんやりしていた時、その報せは届きました。
おじさんが、お亡くなりになったと。

私はお通夜とお葬式の時間を聞いて、一人で参列しました。
親戚でもなく、おじさんの友人でもなく、地域の関係者でもない私が、会場で一人大泣きしている姿は異様だったと思います。
それでも、涙が止まりませんでした。

なんで。まだ早いんじゃないの?もっとお話ししたかった。もっといろいろ教えてほしかった。
そんな思いがぐるぐると回って、お通夜・お葬式の最中も涙は止まることを知らず流れ続け、フラフラとよろけながら会場を後にしました。

「おじさん」と「峯廣ハル」

それから一年ほど後に、私はおじさんの娘になりました。
おじさんの娘になってから、今年で4年目です。

このブログを作るにあたり、彼氏……現在の主人の賛同を得ました。そして、私がこの名前を名乗りたいということにも。

「峯廣」は、おじさんのお名前から一字いただき、厳格だけど大きなイメージのある、山が好きなおじさんのイメージから。
「ハル」は、私が好きなバンドの曲のタイトルです。

私はいまだに、おじさんを「お義父さん」と呼べません。おじさんが亡くなってから入籍し、どうも娘だと名乗る自信がないからです。
私が尊敬するおじさん、誰からも愛され尊敬されるおじさんの娘だと、結婚式にも出席してもらわずに口にすることができません。

いつか父と呼べる日が来るまで

私にとって、自分が書いた文章は子供のようなものです。
なので、親が自分の名前の一字を子に授けるように、おじさんの名前を一字いただきました。
そして、できればこのブログをいつか一冊書籍にして、デジタルではなくアナログの形としてこの名前を残したいです。

それくらいの記事量になってきたら、私にも「娘です」と名乗る資格ができるかなぁ。
一歩ずつ前進するので、「よろしく頼む」とたった1つだけ約束したことを必ず守るので。
本をお渡しできるその日まで、待っていてください。