うつ病の怖さは「うつ病だと忘れること」かもしれない
久しぶりにうつ病の深淵を見ました。
やっぱり怖いなこの病気。
あまりわかってもらえないかもしれないうつ病の怖さについて書いていきます。
朝がしんどい
とにかく朝起きた時から、絶望感が半端じゃないです。
「また一日が始まってしまった」
「どうせ何もできないのに」
そんなことを布団の中で考えます。
そのままでいても仕方がないので起き上がって、あたたかい紅茶を用意し、洗濯機を回して。
洗濯が終わるころには朝食も食べ終わっており、少し薬も効いているので、洗濯物を干します。
あとは食器洗いをして、夕飯の白ご飯を炊飯予約し、朝の一連の活動が終わります。
ここでほっと一息。
余談ですが、紅茶は私の「やる気スイッチ」です。
これについてはまた別の機会にでも。
しかしこれは、できる日の話です。
できない日はまず、紅茶を用意することができません。
瞬間湯沸かし器にお水を入れることすら困難です。
ご飯食べて薬飲むのが精いっぱい。
フラフラと布団に戻り、絶望に耐えるしかないのです。
とにかく何もできないのでひたすら耐える
絶望感に苛まれると、もう何もできないので一日中布団でなんとかするしかありません。
その間、私はこんな言葉や感覚たちに頭を支配されます。
- 何もできない
- 何もしたくない
- 苦しい
- 辛い
- なぜ何もできないのか
- 本当にしんどいから死にたい
- 自分がいなくなっても何も変わらない
- 頭がぐちゃぐちゃでわけがわからない
- 何がこんなにつらいのかわからない
- どうしたらいいのかわからない
- 頭に圧迫感がある
元気であれば動画を見たりゲームをしたりして時間をつぶせます。
しかし、それすら難しく、比較的調子がよくなる夜まで持久戦に入るのです。
主治医に言われてハッとした一言
そんな日の頭の中のことを、私はある時メモに残すことにしました。
そのメモを持って、心療内科へ定期の診察に行った日のこと。
先日このような状態でしたとメモを見せると、主治医は私にこう言いました。
「うつ病はこういう病気ですからねぇ……」
主治医は「うつ病が今更何を言っているんだろう」的な、不思議そうな対応でした。
しかし、主治医が塩対応だったのではなく、私が後からメモを冷静に見返してもうつ病のせいにしなかったことに対して、ぽつりとこのように仰った感じです。
そうです、うつ病のせいにしなかったんです。
だってわからなかったから。
自分がうつ病だと忘れていました。完全に。
ああそうか、自分が悪いんじゃなくて病気のせいなんだ。
ある程度病気のせいにしてもいいんだ。
そんな風に思いました。
もちろん「ある程度」です。
自分がうつ病だということにあぐらをかいて、努力することを忘れようとは思いません。
ただ、上のような感情に支配されたときに、うつ病のせいにしてもいいんだと思えたのです。
できるだけ頑張って良くしていこう
うつ病の人に「頑張れ」は禁句だとよくいいます。
でも、自分で自分に頑張れということは悪くないんじゃないかと「個人的には」思っています。
ただしそれも「できるだけ」。
無駄に頑張って空回りして、病気を長引かせてはいけません。
いつか病気から抜け出せるように、頑張れるだけ頑張ってみたいと思います。