キリンソウ

鬱病と共に生きつつ寛解を目指す。ガジェットとアナログの両方で生活を良くしたい。

わたしと父親、わたしと家族 後編

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昨日書いた記事には、私が育った家庭のことに重点を置いて書いた。
今回はそれを踏まえ、自分が今後どうしていきたいかについて書いていこうと思う。

昨日、家庭についてよくわからないと言った。
私はまず、ここを何とかしたいと考えている。
別に育った家庭をどうこうするわけじゃなく、自分の中で落としどころを見つけたいだけだ。
そして、感じているモヤモヤについても。

このモヤモヤは、きっと「親にしてほしかったこと」なのだと思う。
育った環境に後悔があるのだ。
もっと自分に興味を持ってほしかった、子供らしく育ちたかった、陰鬱な空気を感じたくなかった。

そして、母との関係にも一区切りつけたいのだと思う。
私はカウンセリング中、未だに「だって、お母さんが……」と、咄嗟に口にすることがある。
母が望まないことをしないように、かなり気をつけている。
もうそろそろ母親を忘れてもいいと、カウンセラーさんは言ってくれた。
母は母、私は私。私は母と同化してはいけないのだ。

そして、父についても。
父との関係はもう手遅れだろうけれど、きっとどこかでまだ何かできると期待しているのだと思う。
父は絶対悪だと考えている反面、私が努力すればそんなことどうにでもなると足掻いていた。
努力すればするほど、蟻地獄に飲まれていくことも知らずに。
母と父の関係をどうこうすることは、他人の私にできるはずがない。
いくら家族でも、他人は他人なのだ。
切り捨てる意味ではなくて、そこはもう「両親はいい大人なんだから自分でなんとかできるんだ」と、私が学ばなければならない。

よく考えたら、いや、よく考えなくても、なぜ私が親の不仲の面倒を見なければならないのか。
それは違うだろう。どう考えても。
お世話になったカウンセラーさんには、口を揃えてこう言われている。
子供のやることではない、あなたはよく頑張ったんだから、もうそろそろ休んでもいいんだと。

そろそろ休むか、というのが今の私の結論である。
好きなことをしながら好きに生きて、やりたいようにやる。
誰かが勝手に考えた「私かくあるべき」という像から抜け出し、気軽に生きていく。

もし何もかもをやり直せるのだとしたら、あの家には生まれてこないだろう。
もし生まれた後からしかやり直せないのなら、もっと自分というものを持って生きてみたかった。
先に書いたように、子供らしく。
恐らくこれが、自分にとって一番足りなかった部分だろう。

以上がカウンセリングの成果を踏まえた私の父親と家庭像である。
まだ学ぶことは多くあるはず。
カウンセリングの機会を大切にして、自分を知っていきたい。