お礼を言うにも訓練がいる
先日、友達と話していてふと気がついたこと。
「お礼を言えるのって経験値の賜物だよね?」
お礼の経験値とは? それを支える土壌とは?
今回はそんなことを書いていきたいと思います。
「お礼経験値」
そもそも「お礼経験値」とは
- 適切な関係でお礼を言われた回数
- 適切な関係でお礼を言った回数
だと思います。
これが少ないと、いざお礼を言う(言われる)時に、どう反応していいかわからなくなってしまうことがあるのです。
たとえば相手からのお礼に対してぶっきらぼうになったり、挙動不審になってしまったりといった、キャパシティオーバーを起こす。
自分からお礼を言うときに、どのように表現していいかわからなくなる。
大人になるとかなり人間関係に支障をきたす部分です。
ちなみに私はお礼を言われなれておらず、お礼をされると、そのお礼を過剰にやりたくなります。
お礼の訓練
適切なお礼の訓練は、まず家庭でなされるべきでしょう。
小さい子供のうちから、適切な距離感でお礼を言うことができていれば、お礼をされていれば、「まあこんなもんか」という感覚がわかります。
私が距離感を理解できないのは、いじめによる疎外からくる、「私がいるだけでウザがられる」という状況からだったのではと分析します。
例として、授業で仕方なく協力しあい、加害者にお礼を言う場面ができたとします。
フルーチェさんなんか酷かったのですが(過去記事参照)、私がお礼を言うと
「そういうのいいから」
と言われるのです。
ただ「ありがとう」と言っただけでこれです。
そりゃあ、だんだん距離感もわからなくなってきます。
お礼を言わなかったら言わなかったで、聞こえるように陰口を叩かれます。
もう、どうしろっていうんだ。
素直に感謝を伝えたい
だからこそ、小さい頃から自己肯定感を高め、自分がそこにいていいんだという感覚があれば、私ほど堕落してはいかないと思います。
子供がいじめられたときの、親からの適切なケアも最重要項目です。
いじめにあうと何をやっても嫌がられるし罵倒されるわけで、どんどん自己肯定感を失っていきます。
カウンセラーさんによると、私はそうやって自己肯定感をなくしていったそうです。
感謝を素直に伝え、なおかつお礼を素直に受け止められれば、どんなにいいでしょうか。
こんなことで生きづらさを感じる人が、少しでも減ってくれたらと願ってやみません。