キリンソウ

鬱病と共に生きつつ寛解を目指す。ガジェットとアナログの両方で生活を良くしたい。

誕生日を迎えて〜いつも心にシンバルキック〜

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20代を無為に消費しています。
今年もまた年をとってしまいました。
誕生日を迎える前に、吉川晃司さんのライブを観に行く機会に恵まれ、熱いライブを楽しんできました。
写真はその際のおみやげ、シンバルキャンディです。
今回は、シンバルキックから学んだ大切なことを書き残したいと思います。

シンバルキックとは

吉川さんがライブのパフォーマンスで行っているステージアクションの一つです。
身体をひねって回転をかけ、2メートル超の高さにあるシンバルを思いっきり蹴り上げます。
蹴り上げるというか蹴り飛ばすというか、とにかく50歳超えてるとは思えない驚異的な身体能力でシンバルキックを炸裂させるのです。

素晴らしいキック力とインパクト。映像では何度も見ていましたが、生で初めて見たときは感嘆しました。
失敗しようが、ひっくり返ろうが、骨折しようが、吉川さんはシンバルに立ち向かうのです。
その姿に漢を感じずにはいられません。

シンバルを蹴るために

あのシンバルを蹴りあげるのは、かなり難しいのではないのでしょうか。
吉川さんは、シンバルを蹴るために身体を相当鍛えているはずです。
別にシンバルを蹴る仕事をしているわけではないので、本業の歌手・俳優業に加えて更なる努力をされているのだろうということが容易に想像できます。

人間、体は衰えていく一方です。
それなのに、変わらぬパフォーマンスを見せてくれる吉川さん。
オーディエンスの期待通り、シンバルを蹴り続けています。
私はシンバルキックを見て、ひとつのことを感じました。
何かを続けるためにまた、何か別のことを継続させなければいけないのだと。

「継続」の連鎖

シンバルキックを継続させるために、吉川さんはトレーニングを継続させなければなりません。
並大抵の努力ではないはずです。
それでも、その努力の先にはシンバルキックがあって、そのシンバルキックの先にはライブがあります。
いつまでもライブのクオリティを保つために、根本である身体トレーニングを継続されているのでしょう。

これは何にでも言えることのはずです。
何かを継続するために、根本的に継続しなければならないことがある。
私はどうだろう。私にとってのシンバルキックは何だろう。私はそれに向かって、何かできているのだろうか。

「私のシンバルキック」は何だろう

私にとってのシンバルキックは何だろう、と考えたときに、まず浮かんだのはブログでした。
最近は甘えているのか何も書けなくなっているのですが、書けない苦しみも覚えています。
しかし、書けない苦しみの前に、私は記事の下地になるものを用意できていないことに気づいたのです。
それがなければ記事を書けるわけがありません。

私がシンバルを蹴るためには、情報のインプットや生活の見直しなど、様々な「根本的継続」を行わなければいけません。
私はそこを怠っている。この状態でシンバルを蹴ろうとしても、身体をひねることすらできないじゃないか。

いつも心にシンバルキック

吉川さん渾身のシンバルキックから、私は「継続することが大きな成功を生む」という気付きを得ました。
考えてみれば簡単なことですが、やってみるのはとても難しいことです。
区切りのいいころに気づくことができたということは、今すぐにでもやってみろというお告げかもしれません。

吉川さんが見せてくれた素晴らしいシンバルキックを胸に、心機一転ブログを頑張っていきたいと思いました。
またライブを観に行きたいです。
その時には、自分なりのシンバルキックを身につけられていたらいいなと思います。