それが「当たり前になる」ということ。
夫婦とは空気のようなものだ、という言葉を聞いたことがあります。
「そこ」に当たり前に存在して、もしなくなってしまうと息ができなくて死んでしまう。
大切なものは目に見えなくて、失くした時に初めて気づくときもあるんですよね。
ふとそんなことを考えたので、まとめておきます。
書くことは息をすること、生きること
先日、こんなツイートをしました。
今日はお友達と電話して、ブログは予約投稿してあるから
— 峯廣ハル (@hal_minehiro) 2016年8月4日
あとはゆっくりしようと思ってたんだけど
結局また1記事書き上げてしまった。
なんだかんだ毎日書いてる。
ストックは月曜まである。
毎日コツコツとストックを増やしてる。
— 峯廣ハル (@hal_minehiro) 2016年8月4日
旬なネタと言うよりも遺るネタを書きたい。
だから随分先の予約投稿までやってしまう。
そろそろ一週間何もしなくて良くなるんじゃないか。
最初は一週間がんばって毎日書こうと思ってたら、いつのまにか1日2記事ずつくらい書くようになってきて、今はどんどんストックが増えていってる。
— 峯廣ハル (@hal_minehiro) 2016年8月4日
習慣って恐ろしい。
このブログは私が書きたいときに書いているブログです。
それでも一応、最初の一週間くらいはいい子にして毎日投稿できるように、と思ってネタがある限りストックしました。
そしたら、どんどん余裕が出てきてしまって、上にもありますがそろそろ一週間何もしなくてもいいんじゃないかってところまで来ています。
しんどい日に無理をしなくていいように、という意味も込めた多めの予約投稿でした。
しかし、時間に追われることなく確実に毎日1記事アップされるのでこのスタイルは今の自分に合っています。
書くことが楽しいです。生きている感じがします。
出来上がるものの質がいいとは全く言えませんが、私は文章を書くことが本当に好きです。
だからこそ、「今日はストック作らない」とか朝に言っておきながら、深夜にブログを書いてしまうわけです。
当たり前になっていたこと
一昨年まで、ありがたいことに文章関係の仕事をしていました。
広報ブログの更新やメルマガの配信など、自社製品の情報を伝えるお仕事です。
担当者と私が二人三脚で作り上げていた2つのコンテンツでした。
ブログもメルマガもゆるいもので、急ぎで仕上げたり担当者と険悪なムードになることはほぼなく、やり甲斐をおぼえてました。
私はある程度書くペースが速かったので、ほかの作業と折り合いをつけて時間が余っていれば、キャッチコピーやメルマガ・ブログの記事タイトルを複数案出していました。
そうすることで担当者が考える記事のイメージに一番近いものができるかな、と考えたからです。
担当者もその方がいいというので、時間があるときはストックを作ったり案をいくつか出してみたり、工夫しながら仕事に取り組んでいたつもりです。
しかし、ある日いきなり担当者に「ストックは?!ブログ記事のストックはないの?!この間の新商品を使った記事で!」と、大慌てで言われました。
私が「先週から別件が超急ぎで最優先のカッツカツなんでありません」、と言ったら、「いつもあるのに、こんな時に限って!」と、担当者が困り果ててしまったのです。
とにかく急いで早く書いて、と言われたので、別件のリーダーに断りを入れてブログを書きました。
ネタが固まっていたのでサクッとは書けましたが、心の中になにか悲しいものが残りました。
そこにあるものは当たり前ではなくて
超急ぎでカッツカツの仕事が続きに続いてうつ病になり、結局仕事は辞めたのですが……。
↓その時の様子はコチラ hal-minehiro.hatenablog.com
私はそれに伴って「書く場所」と「書く気力」を失いました。
場所はいくらでも作れましたが、作る気になれませんでした。
消費されるコンテンツとしての文章なんて書きたくない。わがままだけど。書きたくないんです。
私は、おこがましいですけど、自分が書いたものを残したいんです。
当たり前にそこにあった書く場所や書くことへの思いがなくなって、かなり長い時間文章から離れていた気がします。
私にとって、書くことは空気のようなものでした。
目の前にあるものを大切にしたい
ブログという形式で物書きとして復帰することは、自分としても嬉しかったようで、ちょっと生活にハリが出ました。
まだまだ生まれて一か月もたっていないブログですが、毎日少しでも水をあげて育ててやれば、ちいさい芽くらいは出るかなと期待しています。
できるだけ質のいいおいしいお水を、毎日一回。
できればずーっと続けていけたらと思います。