キリンソウ

鬱病と共に生きつつ寛解を目指す。ガジェットとアナログの両方で生活を良くしたい。

ブログ一周年記念に「ぼのちゃん」をいただきました

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ブログ一周年記念に、念願のぼのちゃんをプレゼントしてもらいました!
ありがとうございます、面白かったです!
感想を書きたいと思います。

イクメンぼのぼのパパの子育て奮闘記?

ぼのちゃんは、ぼのぼのが生まれて間もない頃のお話です。
まだ立って歩くことも、話すこともできないぼのちゃん。
そんなぼのちゃんを優しく見守るのが、ぼのぼのパパです。

ぼのぼのパパは、アライグマくんやシマリスくんの成長ぶりを見て、ぼのちゃんの成長が遅れているのでは……と悩んだり、少し無理をして歩かせようとしたり奮闘します。

でも、そこはぼのぼの。ぼのちゃんは、ぼのちゃんのペースでしか生きていかないのです。
本編のぼのぼのと変わらないその一面に、私は何かホッとしてしまいました。
ぼのぼのは昔からぼのぼのなんだな、と。
パパは大変でしょうけど……。

「ぼのちゃん」の面白さはぼのちゃん視点にあり

私はぼのちゃんを読んでみて、この漫画の面白いところは「ぼのちゃんの視点でものを見ることだな」と感じました。

初めのぼのちゃんは何もできませんが、少しずつできることが増えていきます。
立つ、歩く、話す……。
私達にとって当然のことが、ぼのちゃんにはとても新鮮なのです。

海の冷たさも、空の色も、花の香りも、すべてがぼのちゃんにとって新しい刺激です。
それに比べて、私達はどうでしょうか。
忙しさにかまけて四季の花々を楽しむ余裕もなかったり、空や海は青くて当たり前だったり。
ぼのちゃんのように、当たり前に感動することがなくなっているように思いませんか?

育児日誌にしてはもったいない!

ぼのちゃんを育児日誌として読んでしまうと、ただの動物育児四コマです。
あー、子育てしてたらあるある、というような部分もあるかもしれません。

しかし、ぼのちゃんと一緒に成長していくつもりで読んでみると、視界がパッと広がるのを感じたのです。
歩けること、話せること、立てることがこんなにも嬉しい。
この漫画はぼのちゃんの成長を応援するのではなく、ぼのちゃんと一緒に発達していく漫画だと確信してしまうほどでした。

あの頃私は、何を思っていたんだろう。

そして、その視点から漫画を読み進めているうちに起こる疑問が一つあります。

「あの頃、私は何を思っていたんだろう」

ぼのちゃんと同じくらいの年齢の頃の私は、立つことや歩くこと、話すことが嬉しかったんだろうか?
少しオーバー気味に喜びを表すぼのぼのパパのように、両親は私の成長を喜んでくれたのだろうか?

今はもう記憶にない部分です。
できれば覚えていたかったですね。
様々なはじめての経験というのは、自分の心を豊かにすると思っています。

続刊も楽しみにしています。
4巻でも、ぼのちゃんと一緒に成長できますように。